仕事(介護)の話

仕事に関する話

今の施設について

 

 今の職場は特養。一応4つのユニットに分けられてはいるが、業務的には従来型の特養と同じだ。フロアには40人位の利用者さん達が住んでおられ、日勤帯は数人、夜間帯は2人の職員がみている。

利用者さんが住んでおられる部屋だが、1人部屋・2人部屋・4人部屋の3つのタイプに分けられる。今までは病院の様に(1人部屋以外)各利用者さん事にカーテンで仕切っていたが、仕切りを作って、個室化を目指しているようだ。 まだ工事の最中なので、どんな部屋になるか分からないが・・・

部屋の工事をするのは良いが、もっと変えて欲しい事がある。前に施設のアンケートにも書いて出したのだが、未だに改善されていない。今回は今の施設の私が考える問題点を書き出していこう。

1つめ、センサーが多すぎる。(現在、15個位)日勤帯はまだ良いが、夜は2人しかいにいから、センサーとナースコールが被りまくると全て行けない。行きたいが、オムツ交換の時間やトイレ介助をしていると完全に無理である。1つでも良いから減らして欲しい。転倒のリスクが限りなくゼロに近い人でも、以前(一年以上前)転倒したからとセンサーをつけっぱなしにしているのだ。何とかしてくれ。頼むから。正直、忙しい時はこの人達のセンサーは鳴っても行かない。PHSを切りっぱなしだ。好きにしてくれ状態だ。

2つ目、フロアのトイレが臭すぎる。完全に換気扇壊れてる。換気できてない。常に汚い公園のトイレの臭いがする。トイレに入っただけで吐きそうだ。

3つ目、PHSの調子が悪い時がある。ひどい時は全く鳴らない。全てのPHSを良く鳴る様にして欲しい。

4つ目、これは施設というより職員に是非とも改善して欲しい。利用者さんの整容くらいしろ!!目やにだらけ、口には夕食の食べ残しがへばりついてる。耳掃除・爪切りが出来ていない。せめて口位、拭いてやれよ(>_<)

一回、めちゃめちゃ笑ったのが、布団剥いだらエプロンしたまま、寝てた利用者さんかいた事だ。何でやねん!!布団被せる時に気付くでしょう(*_*)

5つ目、これは一番の問題点!!

人間関係が悪すぎる。この話は大分長くなるので、次回。

 

 

 

迷走〜今の職場にたどり着くまで〜

初めて介護職員として働いた施設を辞めてから、私がどうしたかと言うと、次の就職先を決めるまでかなり時間がかかってしまった。

人間不信がピークの上にあの安い給料で、人の命をみているのかと思うと介護業界事態が嫌になってしまっていたのだ。

でも世の中はそんなに甘くない。何でも良いからと派遣に登録したところで、派遣会社もすぐに使える即戦力が欲しいのだ。何件か面接を受けたが上手くいかず、結局介護に戻ってしまった。

自分で探すのが面倒だったので、介護職専門の派遣会社に登録したところ、すぐに務め先が決まった。まぁ当然といえば、当然だ。なぜならどこも人手不足。日勤帯より給料の高い夜勤専従(以下、夜専と省略)となり働く事にした。

1番初めに夜専として働いた施設は、家からは近いが地獄だ。2時間おきにオムツ等の交換、終われば即巡回、巡回がおわれば手書きの記録を書かなくてはならない。オムツ交換も利用者さんの人数が多く、なかなか終わらない。ナースコールもバンバンなるし、休む暇がないのだ。

働いてる人も怖いおばちゃんばかりだし。

若い男の子を利用者さんの目の前で、怒鳴り付けたりしていた。さすがにあれは引いたなΣ(゜Д゜)利用者さんビックリしてたやん!!

本当は3ヶ月更新だったけど、ムリ言って1ヶ月で辞めた。派遣会社の方すみませんm(__)m

次は普通の日勤帯で働いた。これはユニット型の特別養護老人ホーム(以下、特養と省略)。ユニット型というのは従来の特養とは違い、簡単に言うと少人数の利用者さんを職員がみていくスタイルだ。

私が入った施設は北と南にユニットが分かれており、各ユニットには10人位の利用者さんが生活されていた。日勤帯は1つのユニットを2人の職員がみて、夜勤帯は北と南の両方を1人がみるという感じだ。

後になって知ったのだか、私が入ったフロアは認知症がヘビー級のかなりしんどいところだったらしい。北はまだ認知が軽かったので、そないしんどくなかったが、南が酷かった。会話は通じない。徘徊は当たり前。大声で叫びまくる。また大変なところに来てしまったと思った。でも、前辞めた施設よりは人間関係は良かったように感じた。怖いおばちゃんもいないし、皆、若くて仲良さそうだった。(実は仲良くないと後で知る。)

そこで4ヶ月位、派遣で働いたのだか、この施設とも給料の折り合いがつかず辞めた。

そして、次。

私は夜専で働く事にした。派遣だが。

半年位行ったのかな。有料老人ホームだった。怖いおばちゃんはいたが、面白くて嫌な感じの職員がいない良い施設だった。

ただ、その施設で直で契約を交わすと、おかしな話だが給料が下がってしまうのだ。

人手が足らないなら、夜専の給料を上げて派遣会社を通さずに雇えば良いのにと思ったが、直で雇うなら安く雇いたいらしい。

今より給料が下がるのは嫌だし、そこは16時間のロング夜勤(仮眠2時間)だったので、かなりしんどかった。半年位いたが、疲れが全く取れず常にマラソン後のような疲労感と頭痛で悩まされた。このロング夜勤では体調を崩してしまうと思ったので、この施設も辞めた。

次に働いた施設は、自分で探した。やはり派遣ばかりに頼ってはいけないと思い、職安で探した。これも夜専だった。夜専はしんどいけど、でも給料がめちゃめちゃ良かった。しかも8時間夜勤。家からは遠かったので、受からないかもしれないと心配したが、雇って貰う事になった。

ここは現在も働いている。

ここも色々あるのだが、その話はまた今度。

 

初めての職場で失ったもの

これは、どこの職場でもある悩みではないだろうか。

【人間関係の悩み】

初めのうちはよかった。和気あいあいとして、職員が12人程しかいない小さな施設だったので、皆、仲良くしていたのだ。

ただ、介護は人の入れ替わりが激しいのでたった2年しかいなかった私でも、驚く位、色んな人が辞めては入ってを繰り返していた。

そんなある日、Tという人がリーダーとなった。

私が初めて働いた施設を辞めた原因である。

まぁ、

分かりやすく言うと、かなりワンマンなのだ。現場の意見は聞かず、どんなむちゃな事でも、やっといてと言うだけ。しかも超腹立つ感じで。施設長や統括などにはゴマをすり、自分の都合でシフトや1日のプランを組む様な身勝手なやつなのだ。上に取り入るのは上手いやつだったので、こいつが原因で一気に3人も人が辞めたのに、施設長は奴を野放しにしていた。

当然、辞めた側としては腸が煮えくりかえりそうだったが、仕方ない。嫌な思いを抱えながら施設を離れた。

私が施設を辞めて半年位たった頃だろうか。

Tがクビになったというのだ。やりたい放題が、度を越したのかとも思ったのだか、違った。サービスの過剰請求をしていたのだ。Tを信頼しきっていた施設長にも問題はあると思うが、過剰に自分は出来ると思っていた奴だったので、プライドはズタズタだろう。しかも、過剰請求を発見したのが、私が辞めた時期位に入ってきた新人(介護歴は長いが、Tよりだいぶ年下)というから、天罰というのは下るもんだなと胸がすっとした。

Tに対する怒りは収まったが、Tが原因で受けた心のダメージはそう簡単には治らない。

実はTや施設長は色んな職員の悪口を一日中、言いまくってるような人達だったのだ。そんな人達と働いてたら、当然人間不信になる。今は笑顔だけど何を考えているのかなと、表情の裏にあるものを探すようになってしまった。

今もその癖が抜けず、現在の職場でも結構喋る人はいるが、信用できるのは1人しかいない。他人を信じることは難しい事なんだな。

 

初めての職場で得たもの

私が一番初めに働いた介護施設で得たものはたくさんあるので箇条書きにしてみた。
①介護をしていく上で必要な介護技術
ベテランの方が何名か居て、本で学ぶ介助方法とは違う介助方法をたくさん教えて頂き、とても勉強になった。教えて貰ったやり方の方が介助しやすいと思った。
②サービス記録や日誌の書き方
住宅型有料老人ホームに務めていたので、プランの度に担当した利用者さんのサービス記録を書かなくてはならず、初めは苦労した。お風呂や外出などは気付いた事や会話した事を書けばよいが、掃除・洗濯のプランは本当に書くことがない。元気な人なら会話出来るが、寝たきりの方やあまり喋らない方は何を書いていいのか、かなり工夫しながら書いた気がする。そういえば認知症で介護度が高いお年寄りのプラン時、何度聞いても何を仰っているのか、全くわからない時があり、困り果ててリーダーに相談した事がある。その時に「何言ってるか分からん時は意味不明発言ありって書けば良いよ。」と言われ、そんな事書いて良いのかと驚いた事がある。でも、せっかく教えてくれたので、何を仰っているのか分からない時は意味不明発言ありって書くようにした。すると、ほぼ全ての記録に意味不明発言ありとなってしまった。
日々の記録は大事だが、何もない日というのは結構な割合で存在するので、かなり苦労して記録を書いていたな。
③尊敬出来る上司
その方は今でも一年に一回位の割合でお会いするのだか、あの方以上の上司には出会った事がない。私より前に施設を辞めてしまわれ、児童福祉関係の方に進まれたので、もう一緒に仕事をする事はないのだが、素晴らしい方だ。
頭ごなしに高圧的に言うのではなく、頷きながらこちらの話を聞いてくれて、分からない事やこちらが納得出来ない事は納得するまで、丁寧に教えてくれる。
あんな人ともう一度仕事がしてみたい。
③利用者さんにする声かけのタイミングや会話の仕方など。
初めての時はやはり、かなり遠慮して利用者さんと距離を置いて接していた。
それはダメなんじゃないかなと思う事も強く言えずにいた時もあった。
そんな時、遠慮してたら介護なんか出来ないよって先輩が教えてくれて、そこから利用者さんと距離を縮める事が出来た。
なかなか上手くコミュニケーションが取る事が難しい利用者さんもいるが、色んな職員のやり方をよく見てこれからも学んでいきたい。

介護の世界へ 〜初めての職場〜

職安でヘルパーの資格を取り、近くの介護施設で働く事となった。(ここでは2年程勤務)

私が初めて働いた施設は住宅型有料老人ホームだった。分かりやすく言うと、ホテルみたいな感じて部屋がたくさんあり、その一つ一つに利用者さんが住んでいる。

決まった時間に掃除・洗濯 入浴 外出などのプランが組まれていて、各部屋をヘルパーがまわるシステムだ。

各プランは一時間単位で区切られており、一日のスケジュールが決められていた。

一時間でプランをこなさなければいけないので、一日があっという間だった。

介護現場は忙しいので、なかなか利用者さんとゆっくりコミュニケーションを取る事が難しい。今思えばプランをいかに時間内にこなす事よりも、利用者さんともっとたくさん会話をしておけばよかった。

自分から辞めた施設だけど、利用者さんの事は好きだったから、今でも利用者さんより業務を優先してしまった事を後悔している。

 

介護職と私

初めてのブログ。
何を書こうか凄く迷った。
私がほぼ毎日書ける事は何だと考えた末、仕事の事という結論に辿り着いた。
前置きはこれくらいにして、私が介護士を目指すきっかけになった話をしよう。
あれは6年位前だろうか。
父(60代後半)が下痢になった。しかも私の父は40代で脳出血で倒れてから、身体の動きがかなり鈍くなった。躓いた様に歩くし、何かに掴まらないと歩行もままならない状態だ。リハビリをしようと声かけしても「そんなんせーへん。」の一点張り。
超頑固。こちらの言うことを何一つ聞いてくれない。その結果、だんだん身体が思う様に動かなくなってきた。そんな父が下痢をしたもんだから、大変だ。トイレに行く前に漏らしてしまう。しかもかなりの肥満だから、抱えてトイレに行く事も出来ない。母はその当時から介護の仕事をしていたので、そういう事には慣れっこだったらしい。
父が入院していた頃に買ったであろうオムツを取り出し、排泄介助をはじめた。初めてみた時は衝撃だった。よく分からないが、感動してしまった。でも母も若くない。糖尿病を患っているし、身体の至るところが痛いと湿布を身体中に、貼っていた。
姉はもう家を出ていたので、母ばかりに無理はさせられない。私も介護の勉強をしようと思ったのが、私と介護職を結びつけた初めだった。